渡辺満里奈 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺 満里奈(わたなべ まりな、1970年11月18日 - )は、日本の女性タレント、司会者。本名、名倉 満里奈(なぐら まりな、旧姓:渡辺)。
人物像
東京都大田区出身。エイプリル・ミュージック→SMAエンタテインメント所属。
血液型はB型。中延学園高等学校卒業。
“満里奈”という名は、父親がヨット好きだったため、マリーナに因んで命名されたといわれている。
『夕やけニャンニャン』の「ザ・スカウト アイドルを探せ」では、月曜日の登場から圧倒的な存在感を示し、金曜日には高得点で合格を果たした。その際、とんねるずに「おニャン子は君のものだ!」とまで言わしめた。それほどまでの逸材であったが、後に本人曰く、この合格以前にいくつものオーディションで落選していた、とのことである。
翌週の1986年3月27日におニャン子クラブ会員番号36番としてデビュー。とんねるずの予言を具現化するように、所属早々より人気を博し、後期おニャン子クラブの主力メンバーとなった。また、とんねるず(と秋元康)にかわいがられ、妹分的な位置づけとなった。おニャン子クラブ時代は同じ渡辺姓の渡辺美奈代とともにW渡辺、ワタナベズと呼ばれた。(ただし、二人は不仲であるというのが定説で、満里奈自身はほぼそれを認めている)
おニャン子クラブ在籍中のソロデビュー曲『深呼吸して』は、当時のオリコン初登場1位最年少記録(15歳11ヶ月)であり、
ベスト・コレクション / 渡辺満里奈2001年(平成13年)3月27日、当時モーニング娘。だった後藤真希のデビュー曲『愛のバカやろう』(15歳6ヶ月)が登場するまで、約15年間この記録は破られなかった。
愛のバカやろう |
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おすすめ平均 彼女の魅力が生かされていない気がする。 つんくと後藤は相性が悪いのかも 初初初!!!
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ただ、歌唱力の不安定さは否めず(同じ年の工藤静香と比べても大きな差がある)自曲のほかアルバム曲『避暑地の森の天使達』をテレビで歌った際には、他の2人のメンバーに苦笑いを入れられながら歌いきった。
おニャン子クラブ解散後も歌手としてアイドル番組やバラエティーなどに出演。当初はアイドルとして、事務所の意向に沿った形で当時のアイドルらしい衣装や楽曲で出演していたが、途中から満里奈自身のセンスが事務所に買われ、独自の路線で曲や衣装なども変わっていき、他のアイドルとはまったく別の方向性で同性からも人気を得た。
その後、とんねるずと秋元康の縁から『とんねるずのみなさんのおかげです』にレギュラー出演、お笑いの資質も見出され芸歴に幅が拡がり、後の司会業をはじめとする様々な番組の出演への道が開けた。
また、その頃から本人の意向により、おニャン子メンバーであったことを表に出したがらないようにもなる(コンサートでもファンに対し、おニャン子時代の応援グッズは持ってこないように通達が出ていた)。そのため、他のメンバーとも積極的に関わろうとはしなくなったが、フジテレビがお台場に移転した際の特番で、一度だけ『セーラー服を脱がさないで』を元メンバー達と一緒に歌っている。
1990年代前半はアンテナ系タレントとしてサブカル系人脈と交流を深めるが、サブカル好きの女子には嫌われていた。またナンシー関や町山広美、山田美保子などのコラムニストから「なぜあんなに売れているんだ?」とバッシングを受ける。ただその事によるダメージはほとんど無い。
現在では、彼女のファッション、旅行、健康などの本人の趣味による本が同性に好評で、その方面での人気が強まってきている。特に台湾通として知られている。
訪台が高じて(よく食べ、飲んでいたのであろう)一時的に体格が豊かになっていた時期があったが、現在はピラティス・メソッド(これに関しても著書「ピラティス道」を上梓)の実践でシャープな体型を維持している。
バラエティ番組においてタモリ、ビートたけし、みのもんた、とんねるず、古舘伊知郎といった強烈な個性の持ち主たちと堂々と渡り合う姿から「猛獣使い」の異名を持つ。
夫はお笑いトリオ・ネプチューンの名倉潤。2005年4月5日、テレビ朝日の番組『銭形金太郎』で、共演している名倉との結婚を発表した。2005年5月5日に婚姻届を提出し、10月23日に東京プリンスホテルにて披露宴を行った。なお、自身の公式HPでの日記に度々書かれている「彼」「だんなはん」とは、たいてい名倉のことである。
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